例えば、大企業の出世街道を順調に登って、役員だとか子会社の社長が射程圏内だとする。
そんなタイミングで「会社を辞めて起業する!」といったら、間違いなく多くの人は止めるだろう。「悪い事は言わない、そんなリスクを取るな」みたいに。
仮にその人たちの言うことを聞いて、その会社に留まったとする。その後、その会社の業績が悪くなったり、不祥事を起こしたりして倒産しても、「会社を辞めるな」と言った人を責めることは出来ない。その人はあくまで善意でアドバイスをしたに過ぎない。
リスクには、「変わること」のリスクと「変わらないこと」のリスクがある。アクションを起こすリスクとアクションを起こさないリスクと言っても良い。
厄介なのは「変わらないこと」のリスク。
起業して失敗するとか株式投資をして損をするといった「変わること」によって発生するリスクは基本的に想像しやすい。
でも「変わらないこと」によるリスクは想像し難いし、想像することが、とても不愉快だ。
今うまくいっているものが、将来うまくいかなくなるリスクを想像するのは、容易ではない。
以前にも書いた気がするが、古代ローマ時代のユリウス・カエサルは、「世の中のほとんどの人は、見たいものしか見えない」と言ったという。
今順調に行っている物事がうまくいかなくなるリスクというのは、決して「見たい」ものではない。単純に不快だ。
通常「リスクを取る」という言葉には、「取る」という動詞からして、何らかのアクションが伴うニュアンスがある。
が、アクションを取らないことによるリスクも確実に存在する。それを表わす分かり易い言葉は存在しないのではないか。それが尚更「変わらないこと」のリスクの存在を分かりにくくしている気がする。
今日と同じ仕事を明日もするのにもリスクがある。生まれた町を出るリスクもあるが、生まれた町に居続けるリスクもある。
つまり、生きることは、リスクを取ることの連続だ。決断の連続とも言える。現状維持は、それによるリスクを取って、現状維持という決断をしていると認識すべきだ。
「変わらないこと」のリスクは想像し難い。だからこそ、それを毎日一生懸命想像することが大切だ。一生懸命想像した上で、毎日決断する。
これを怠ると人は基本的に「変わらない」方を選択しがち。そのリスクに対して無自覚に。「変わる」こともできたのに、「変わらない」でいて、問題が起きると、パニックになる。他人のせいにする。助けてくれない人を恨む。あるいはただ後悔する。
それは幸せな生き方じゃないと思う。
日々が決断の連続なら、やっぱり毎日「うーん」と考え込まざるを得ないなあ。